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伝統の【うどん】【鬼ひも川】を群馬県館林市から全国にお届けいたします。

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2015/09/02

花山うどんレトロ館_No.2_二代目 橋田藤吉


花山うどんの古い写真、道具、エピソードなどを少しずつ紹介いたします。

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「鬼ひも川」の考案者でもある、二代目 橋田藤吉。

 

昭和3年には、天皇ご即位記念の展覧会のために「最高級 花山うどん」を考案。

写真は、その天覧の栄誉を記念して撮影されたものです。

 

最高ランクの外国産小麦が持つ色つやと、国産小麦がもつ豊かな味わいを最大限に引き出すブレンドで作られた

「最高級 花山うどん」は、くすんだ色の麺が当たり前だった当時、純白の輝きを放つ麺として称賛されました。

 

80余年を経た今、「最高級 花山うどん」は製粉技術の進歩と三代目・四代目・五代目のたゆまぬ努力により、

当時は外国産とのブレンドでしか成し得なかった純白の色つやを【国産小麦100%】で実現。

花山うどんのスタンダード商品として、ご自宅用から贈答用までご愛用いただき、輝きを増しております。

 

 

昭和10年代後半には、「白玉うどん」を考案。

 

戦時下で原料の小麦は政府からの配給制に。働き盛りの男は戦地へ。多くのうどん屋が廃業の危機に立たされる中、

「もち米の粉=白玉粉」を使ったうどんを開発することで廃業の危機を乗り越えました。

現代では「米粉」を使った食品がたくさん流通していますが、当時の常識や技術では想像もつかないアイディアでした。

「驚くほどツルツルしている」とお客様の評判も上々でしたが、原料確保の安定に伴い廃番となっております。

 

 

その後も、戦後の物不足、復興、高度経済成長、、、、時代と人々の価値観・食の好みがめまぐるしく移ろう中、

常にお客様に喜んでいただける味を追求しつづけていたそうです。

 

 

三代目女将の幸子は生前、「高明(五代目)はお義父さん(二代目)に似ている」と言っていたそうです。

顔立ちや背格好以上に、皆を楽しませこと・喜ばせることが大好きで、面白い商品を次々につくる。

お祭りが好きで、皆で賑やかに食事やお酒を楽むのが好き。そんなところが良く似ているとのこと。

 

もし、二代目が今の世を生きていたら、

うどん天下一決定戦で五代目に代わってハツラツと陣頭指揮を執ったかもしれませんね。

 

 

※画像をクリックすると拡大表示になります。

※写真現物をスキャン後、コントラスト(明暗)調整を加えています。

 

花山うどん 昭和3年_二代目橋田藤吉