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伝統の【うどん】【鬼ひも川】を群馬県館林市から全国にお届けいたします。

ブログ

2015/10/26

花山うどんレトロ館_No.4_三代目 橋田正雄(晩年)


花山うどんの古い写真、道具、エピソードなどを少しずつ紹介いたします。

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四回目ですが四代目ではなく、第三回に引き続き、三代目 橋田正雄の晩年です。

 

戦後から高度経済成長期を経て、お客様の生活習慣や味の好みは大きく変わりました。

時代の流れの中で、伝統的な製法を大切にしながらも、独自の配合や技術を磨き続けました。

 

うどん用の中力粉だけでなく、製パン用の強力粉・製菓用の薄力粉も取り入れるなど、

大胆な発想で「花山満月」「花山なべやきうどん」「花山絹漉ひも川」などの新商品を開発。

お客様のニーズに合わせて、うどんだけでなく

「花山蕎麦(そば)」や「花山支那蕎麦(しなそば≒ラーメン)」も開発いたしました。

 

「花山満月」と「花山蕎麦」はロングセラーとなり、現在でも製造販売を続けております。

 

導入事例がほとんどなかった頃に、ソーラーシステムを工場へ導入するなど新技術への先見の明もありました。

 

 

五代目によると

「軍人上がりで礼儀にはとても厳しかったです。古来からの精神や礼儀作法についてたくさん教わりました。

父(四代目)に教わると素直に聞けないのですが、祖父(三代目)に教わるとすんなりと身に付きました。」

「自社の商品にとても誇りを持っていて、店頭の商品陳列が乱れるとすぐに直していました。」

「日清製粉の技術担当者様といつも小麦の品質について話していました。常にその時代の製粉技術の先をゆく

要望を出していたそうで、、、要望に合う小麦粉を提供する事はかなり大変だっただろうと思います。」

 

四代目によると

「伝統的な天日干しに非常に強いこだわりを持っていました。

私の『品質の向上を図るために、工場内で天日干し乾燥を再現しよう』という提案を

受け入れてもらい実現するまでは、大変苦労しました。どれだけ議論を交わしたことか・・・。

おかげで天日干しをよく理解でき、現在の製法が確立したわけですが、当時は辛かったですね。」

 

など、仕事や礼儀には非常に厳しく、頑固な面もある人でした。

 

五代目女将によると

「孫の嫁の私にも丁寧に接してくれる人でした。お茶を淹れる、新聞を渡す、などの些細なことにも

『ありがとう』と言ってくれて、一日に何度『ありがとう』と言っていたかわからないほどです。」

と、感謝を大切にする律儀な人でもあったようです。

 

 

最晩年は6人の孫・4人の曾孫に囲まれて穏やかに過ごし、

大正、昭和、平成 ・・・激動の三時代を90年に渡って生き抜きました。

 

 

※画像をクリックすると拡大表示になります。

※写真現物をスキャン後、コントラスト(明暗)調整を加えています。

 

昭和後期~平成初期、本社の屋上にて、当時の工場長と撮影。

花山うどん 平成初期 三代目橋田正雄と工場長

 

平成17年、製麺業と食品衛生への精励を評価され木杯を賜りました。

平成17年 三代目_木杯台付

 

昭和後期~平成初期、県立つつじが岡公園(花山公園)にて、満開のツツジの前で。

花山うどん 平成初期_三代目橋田正雄